日露戦争(2)

石破茂が首相に就任して迎えた、
初めての総選挙が、
2024年10月にありました。

この時、石破自民党が、選挙公約の第一に掲げたのが、
「ルールを守る」
でした。

私は、この言葉は、国民や石破茂が考えている以上に、
重要だと思っています。

石破首相がこの言葉を選挙公約の第一に掲げたのは、
今回の総選挙では、安倍派を中心とした、裏金問題が、
争点となったことに起因しています。

その文脈から、この言葉は、読まれています。

私が、この言葉は、重要だと思っているのは、
まったく別の文脈からです。

先の大戦で、
なぜ日本は開戦への道を進んだのか、
どうすれば避けることができたのか、
を考えるとき、

私は、
法規範(憲法・法律・規則など)を守らなかったことが、
平たく言うと、ルールを守らなかったことが、
重要なファクター(要因)としてあったのではないかという、仮説を立てています。

ルールを守ってさえいれば、戦争にはならなかった。

きちんと、ルールを守って、記帳さえしていれば、
何の問題(政治資金規正法違反)にもならなかった。

統帥権の干犯」というのは、昭和史のキーワードです。

ロンドン海軍軍縮条約(1930年)をめぐって、
海軍軍令部の承認なしに、兵力量を決定することは、
天皇統帥権を犯すものだとして、右翼、政友会(犬養毅鳩山一郎)が内閣(浜口雄幸)を攻撃しました。

しかし、昭和の歴史では、天皇統帥権をないがしろにしてきたのは、
陸軍にほかなりません。

勝手に軍を動かし、軍事行動の既成事実を積み重ねて行った結果が、
日米開戦です。

昭和の陸軍で見られた、指揮命令系統を無視して、
現地の軍が勝手に動くという、

およそ近代的な軍隊とは言えないような行動が、
明治の日露戦争でも見られます。

旅順の要塞が、なかなか落ちないときに、
それよりも戦略的価値が高い203高地を先に攻略せよ、
という指令が東京の参謀本部から現地に伝えられます。

日本海海戦を前にして、バルチック艦隊が迫ってきています。
旅順港に停泊していた、ロシア極東艦隊が出動して、
日本の連合艦隊が、ロシアの両艦隊に挟み撃ちにされる恐れがありました。

203高地からは、旅順港に停泊するロシア艦隊に砲撃を加えることが可能でした。
海軍は、203高地の攻略を強く要請していたのです。

ところが、現地軍(大山巌乃木希典)は、旅順の要塞攻略に固執して、
すぐには目標を変更しませんでした。

とうとう最後には、明治天皇までが、乃木の説得にあたるというありさまでした。


結局、最後には乃木も203高地に目標を変えるのですが、
中央の命令に従わないという日本軍の「文化」は、
このころからあった様です。

アベ政治」は、ルールを守らない、法を守らない政治でした。

ライバルの石破茂は、にがにがしく思っていたことでしょう。
みんながイエスマンだった安倍一強の自民党の中にあって、
村上誠一郎石破茂だけは、苦言を呈し続けていました。

衆議院選挙の公約の第一に、
「ルールを守る政治」を掲げたのは、

石破茂の、アベ政治への決別宣言だった、
というように見ることもできます。