日露戦争(3)

実際は、薄氷の勝利だったとしても、
国民は、そんなことは知りません。
とにかく、日露戦争は、日本の勝利で終わりました。

国民は、提灯行列をして浮かれました。
東郷平八郎乃木希典の軍神2名は、
国民の熱狂的な歓喜の声で迎えられました。

西洋の大国ロシアを破って、
日本も一等国の仲間入りです。
坂の上に白く輝く雲を見ていました。

だれも、その先に国が亡ぶ歴史が待っているなど
思いもつきませんでした。
ただ一人を除いては。

この時点で、そんなことを予見したのは、
日本中で、この人だけだったと思います。

それは、夏目漱石です。

小説「三四郎」:
九州から東京へ向かう汽車で乗り合わせた男と
三四郎は会話します。

「これからは日本も段々発展するでしょう」
と言う三四郎に、男はすました顔で、
「亡びるね」と言います。

これは、この作中人物の口を借りて、
漱石が、みずからの予見を述べたものです。

漱石は、すごいですね。

日露戦争と、太平洋戦争の両方に従軍した軍人がいます。

山本五十六です。

海軍兵学校を卒業したばかりの山本五十六は、
少尉候補生として、日本海海戦に参加しています。

この海戦で、
左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷を負います。

太平洋戦争では、
連合艦隊司令長官として、真珠湾攻撃を指揮します。

真珠湾攻撃の華々しい戦果とともに、
開戦を知らされた国民の多くは、高揚した気持ちになりました。

真珠湾攻撃についての、内外の軍事的評価は、
半々に二分されているようです。

<プラス点>
あれだけの艦隊を感知されることなく展開し、
奇襲攻撃を成功させたことは、驚嘆すべきことでした。

真珠湾アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な損害を与え、
日本は西太平洋の制海権を得、南方への軍の展開が可能になりました。

<マイナス点>
第一波攻撃で終わってしまい、第二波攻撃をしなかったために、燃料タンクなどは無傷でした。第二波攻撃で、燃料タンクを破壊していれば、
米軍の立ち直りをもっと遅らせることができたはずです。

真珠湾は浅かったので、沈没した艦船は、
ほとんど引き上げられて、修理され、復活しています。
結局、ほんとうに沈没したのは、2隻だけでした。

この時、空母群は真珠湾にいなかったため、無傷でした。

山本五十六の思い描いた戦略は、

1.奇襲攻撃で、米太平洋艦隊に大損害を与え、
2.米側の戦意を喪失させる

これによって、西太平洋の制海権を得、
この間に、南方の緒戦に勝利し、早期に講和にもっていく、
というものでした。

長期戦では日本勝利の見込みがないことを熟知していた、山本の作戦でした。

上記の1.については、一応成功していますが、
2.については、失敗しました。

真珠湾攻撃によって、もともとは意識が低かった米国民が変えられました。
「リメンバー・パールハーバー」で、戦意は高揚し、
戦時国債は売れました。

山本五十六は、最も有名な日本軍人となったのです。
彼の名は、米国民の90%以上が知っていたそうです。
東条英機の名前は知らなくても、山本五十六の名前は知っていたということです。

しかし、それは悪名でした。
1943年、南方戦線視察中に、搭乗機が撃墜され戦死しますが、
厳密に言うと、戦死ではなく、暗殺でした。

アメリカは、山本五十六を暗殺する作戦を立てます。
いくら戦時中でも暗殺は国際法上、問題にならないかと心配した、
海軍長官は専門家に調べさせたそうです。

最終的には大統領の許可のもと暗殺作戦は実行されました。

日本軍の暗号無線を、米側は完全に傍受、解読していました。
山本の行動スケジュールは、すべて米側に掌握されていました。
そして、山本は几帳面な性格で、そのスケジュールの時間通りに行動していました。

搭乗機は、待ち伏せ攻撃され、撃墜されますが、この時点では、
米側は、山本の死を確証できないでいました。
日本で山本の国葬が行われたことで、米側は山本の死を確認できたのでした。

さて、幸か不幸か、日露戦争で日本は勝利したのですが、
これは、幸だったのでしょうか、それとも不幸だったのでしょうか?

日露戦争は、日本人に変な自信をつけさせ、
太平洋戦争でも勝てると過信させたということはなかったでしょうか?