ソ連・東欧圏の崩壊(4)

ソ連・東欧圏の崩壊」は、
(狭い意味の)社会主義が、
自壊した、自滅したということです。

このシステムでは
うまく行かなかったから、
そのシステムが崩壊したのです。

マルクス唯物史観では、
資本主義のもっとも発達した
イギリスで

最初の社会主義革命が
起こらなければ
ならなかったのですが、

そうならず、田舎のロシアで起こりました。

資本主義的な生産様式のもとで、
生産力が増大してゆき
(経済が発展し)、

その生産様式のもとでは、
もはや、さらなる
生産力の増大が得られない

(生産様式が生産力の増大にとって
桎梏(しっこく。足枷)となる)

段階まで社会の生産力が増大したとき、

その生産関係(生産するための人間関係)に取って代わる
新たな生産関係が構築される。

この時、旧来の生産関係を支えていた、
上部構造(政治体制や法体系)は、

新たなそれにリプレースされる。

というのが、
マルクス唯物史観でした。

当時、最も発達した資本主義国は
イギリスだったので、最初の社会主義革命は
イギリスで起こるはずだったのです。

ですが、イギリスでは革命は起きず、
マルクス唯物史観
その説を論証できませんでした。

ソ連・東欧圏の崩壊」では、
その社会主義的生産関係では、
生産力の増大が期待できず、

社会主義を支えていた政治体制
共産党一党独裁
が倒されました。

社会主義国の誕生では、
唯物史観
役に立ちませんでしたが、

社会主義の崩壊、
社会主義→資本主義への移行では、

まさに、唯物史観
説明ができるという
皮肉な状況がありました。