日本国憲法の制定過程(4)

枢密院の議決(美濃部のみ反対)を経て、
憲法案は国会へ回され審議されます。

幣原内閣は総辞職し、吉田内閣に変わっています。

1946年4月10日、
女性も選挙権を得た史上初の民主的な総選挙が実施され、
5月16日、第90回帝国議会が召集されます。

この第90回帝国議会で、
改正憲法案は審議されますが、

委員会では保革を問わず、
どの党の委員も実に真摯に討議しています。
(今日の安倍・菅政権の国会運営とは雲泥の差があります)。

この様子は議事録を元にした再現ドラマが
NHKのドキュメンタリー番組で
何度か放送されています。

政府も丁寧に質問に答えています。
吉田内閣で憲法担当の国務大臣であった、
金森徳次郎は委員会で1300回を超える答弁をしています。

熱意ある討論を経て、
憲法案は圧倒的多数で可決されます。
第90回帝国議会は、憲法制定会議として機能したのです。

民主的に選挙された代議員によって
憲法案は内実のある討議を経て、
修正・可決されたのです。

これを「押しつけ」というのは、
当時の国民・議員に対してあまりに不遜です。

「帝国憲法改正案」は、
天皇の裁可を経て
11月3日に「日本国憲法」として公布されます。

では、世論の受け止め方はどうだったのかを
新聞論調で見てみます。

松本委員会で検討過程にあった憲法草案は、
正式には公表されていません。

しかし、毎日新聞が「宮沢甲案」をスクープするなど、
論議の方向性などは新聞各紙もつかんでおり、
社説などで論評していますが、

松本委員会の改正作業については、
その保守的姿勢を批判する記事が目立っていました。

ところが、1946年3月6日に、
日本政府が「憲法改正草案要綱」を発表すると、

それ以前の政府の保守的な姿勢からは
想像もできない内容であったので、
驚きをもって受け止められ、

多くの新聞が画期的なものとして評価し、
賛意を表しています。

2月26日の閣議で、
政府は「マッカーサー草案」に沿った憲法草案を
起草することを決定していますから、

この「憲法改正草案要綱」は、
「松本試案」ではなく、
マッカーサー草案」をベースに作成されています。

世論の一翼をになう新聞は、
明らかに「マッカーサー草案」の方に
軍配を上げているのです。

世論の意向をくみ取っていたのは、
松本委員会ではなく、
GHQ民政局の方だったのです。

憲法を作成するのは、政府ではありません。
人民(国民)です。

人民の意向に沿って作られた憲法のみが、
正当性を主張できるのです。

以上により、
日本国憲法は、
「押しつけ憲法」ではありません。