憲法9条の起源

次に憲法9条の起源を見てみます。

マッカーサーが松本委員会の検討作業を見限って、
ホイットニー民政局長に草案の作成を命じた時に
提示したのがマッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)です。

三原則とは、
(1)天皇制の維持、(2)戦争放棄、(3)封建制の廃止でした。
これが憲法九条の直接の起源です。

マッカーサーがホイットニーに三原則を提示して
憲法草案の作成を命じたのは、
1946年2月3日でした。

戦争放棄マッカーサーの発案だったのでしょうか?

実はマッカーサー戦争放棄を提案した
日本人がいたのです。
それは、総理大臣の幣原喜重郎でした。

幣原はマッカーサーとの秘密会談で
これを提案しており、
このことは公にはなっていませんでした。

彼は死の直前(1951年)に、
衆議院議員平野三郎にはじめて打ち明けています。

平野が聴き取った内容を文書化したのが
平野文書」で
1964年に公表されました。

『幣原先生から聴取した
戦争放棄条項等の生まれた事情について』
というのが表題です。

この文書に記された幣原の言葉を抜粋します。

「戦争をやめるには
武器を持たないことが一番の保証になる。

「非武装宣言ということは、
・・・全く狂気の沙汰である。

「何人(なんぴと)かが
自ら買って出て狂人とならない限り、

世界は軍拡競争の蟻地獄から
抜け出すことができないのである。

「僕はマッカーサーに進言し、
命令として出して貰うように決心した

「その日、僕は元帥と二人切りで
長い時間話し込んだ。
すべてはそこで決まった訳だ」

「その日」というのは、1946年1月24日。

幣原は、年末から正月にかけて
風邪で寝込み肺炎になりましたが、

マッカーサーから新薬ペニシリンを貰い
全快したので、
そのお礼ということで訪問したのでした。

幣原が戦争放棄の着想を得たのは、
この風邪で寝込んでいたときだったと
言っています。

幣原の提言はマッカーサーを動かし、
2月3日に彼は
ホイットニーに憲法草案の作成を命じたのです。

平野文書」に見られる幣原の言葉が
真実であることは、
マッカーサー本人によって裏書されています。

憲法調査会会長であった、高柳賢三へ宛てた
1958年12月の書簡で、

彼は、
“The suggestion to put an article in the Constitution outlawing war
was made by Prime Minister Shidehara.”

(戦争を違法化する条項を憲法に入れるという提案は
幣原首相によってなされました)と書いています。

憲法九条は、
マッカーサーからの「押しつけ」ではなく、
日本人の発案だったのです。