「平野文書」全文(4)

原子爆弾が登場した以上、
次の戦争が何を意味するか、
各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。

だが交渉の行われている合間にも
各国はその兵器の増強に狂奔するだろう。
むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。

不信と猜疑がなくならない限り、
それは止むを得ないことであって、
連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、

終りには大変なことになり、
遂には身動きもできないような
瀬戸際に追いつめられるだろう。

そのような瀬戸際に追いつめれても
各国はなお異口同音に言うだろう。
軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。

それは分っている。
分ってはいるがどうしたらいいのだ。
自衛のためには力が必要だ。

相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持つものは自分も持たねばならぬ。
その結果がどうなるか。

そんなことは分らない。
自分だけではない。
誰にも分らないことである。

とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。

果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられない
どうしようもないことである。

集団自殺の先陣争いと知りつつも、
一歩でも前へ出ずにはいられない
鼠の大群と似た光景

― それが軍拡競争の果ての姿であろう。

要するに軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。

唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。
それは世界が一せいに
一切の軍備を廃止することである。

 一、二、三の掛声もろとも
凡ての国が兵器を海に投ずるならば、
忽ち軍縮は完成するだろう。

勿論不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。

ここまで考えを進めてきた時に、
第九条というものが思い浮かんだのである。
そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー

最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。

相手はピストルをもっている。
その前に裸のからだをさらそうと言う。
何と言う馬鹿げたことだ。

恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。

若しこんなことを人前で言ったら、
幣原は気が狂ったと言われるだろう。
正に狂気の沙汰である。