しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、
これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは
僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、
何のために命を賭けて
平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために起つ秋ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は
天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、
従来の観念からすれば
全く狂気の沙汰である。
だが今では正気の沙汰
とは何かということである。
武装宣言が正気の沙汰か。
それこそ狂気の沙汰だ
という結論は、
考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を
必要としているということである。
何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、
世界は軍拡競争の蟻地獄から
抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を日本が果たすのだ。
日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、
最も戦斗的に戦いを追求する
神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、
僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。
何故なら武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。
すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々とこの大道を行けばよい。
死中に活というのはその意味である。
問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、
それは遠い将来のことでしょう。
しかしその日が来るまではどうする訳ですか。
目下の処は差当り問題ないとしても、
他日独立した場合、
敵が口実を設けて侵略してきたらです。
答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。
そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
然も次の戦争は今までとは訳が違う。