石破退陣~高市政権発足(2)

1994年6月末に自社さ連立政権が発足し、
翌7月、村山首相は所信表明演説で、

「我が国の侵略行為や植民地支配などが
多くの人々に耐えがたい苦しみと
悲しみをもたらした」と述べます。

これに対して、同年10月、
予算委員会で、高市は村山と直接対決します。

「具体的にはどの行為を指して
侵略行為と考えているのか」と追及します。

村山が、「日本の軍隊が中国本土や
東南アジアの国に攻め込んだ行為を指す」
と、答えると、

高市は、
「総理大臣という地位にあるひとは
50年前の政権の決定を断罪し、

戦争を支えた納税者や
命をささげた人々のしたことを
過ちと決める権利があるのか」

と、問いただしています。

私は、戦後、日本人は、
戦争へと突き進んだ歴史が誤りであったと反省し、
平和で民主的な国づくりを目指してきたと、

思っていたのですが、
そうではない人がいたんですね。

戦後80年にして、
日本人・310万人、アジア人・2000万人の犠牲者を
出した戦争を正しかったと明言する人が、日本の首相になったのです。

選挙で大負けしたのに、内閣支持率が上がるという
珍現象もありました。
また、「石破やめるな」のコールもありました。

これらも、高市は阻止したいという、
思いがあったからだと思います。

参議院選挙の与党大敗の原因は、
裏金問題への国民の批判でした。

パーティー券収入の不記載が一番多かったのは、
安倍派でした。
統一教会との関係議員も安倍派が多かったです。

なのに、選挙敗北で石破が降ろされ、
安倍後継の高市が首相になり、裏金議員も復活するという
理解できない現象が起こっています。

高市早苗は、総務大臣の時に、
政治的中立を欠く放送があれば、
放送免許を取り上げるといった発言もありました。

報道の自由を保障して、民主主義を守ろう
などという気持ちは、
まったく持ち合わせていない人物です。

自民党政権下では、文部大臣には、
右派がつくことが多かったようです。
安倍長期政権でも、ほとんど安倍派から起用されていました。

そして、日本軍国主義の不名誉になることは、
なるべく教科書に記載させないという検定になっています。

安倍政権下では、政府の方針に反する記載はNGとなりました。

こうして、歴史を知らない、
民主主義的価値観をあまり持たない、
国民を作ろうとして来ました。

そして、その努力が成果を上げたのを見て、
選挙権年齢を18才に引き下げたのではないでしょうか。
(以前は、自民党は反対していました)

今度、高市が文部大臣に選んだ人も、
南京事件は、なかった」という歴史観の人です。