靖国神社

みなさんは、靖国神社に行ったことがありますか?
私は、30年ぐらい前ですが、行ったことがあります。

靖国神社は、その人の思想性を測る
リトマス試験紙のようなものだと思います。

私の場合は、明確な反応がありました。

行った時の、私の感想を述べます。

そのとき、私は自分が強烈に
拒絶されているような感じを受けました。

「ここは、おまえなんかの
来るところではない」
と言われているようでした。

私は、ものすごい違和感を覚えました。

ですから、私は
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
の議員さん達とは、真逆の思想性を持っていることになります。

靖国神社は、普通の他の神社とは
明らかに異なっています。

そこは、あたかも昭和16年に
タイムスリップしたような場所でした。

いろんなディスプレイが展示がされていました。

それらは、
「我ラ カク勇敢ニ 闘エリ」
という展示でした。

東京裁判で、ただ一人、
被告全員の無罪を主張した
インドのパル判事の像がありました。

東京裁判史観、東条英機的史観、靖国神社史観を
目いっぱい主張している場所でした。

これほど、政治的主張
強烈にデモンストレーションしている
神社は、ほかにあるでしょうか?

靖国神社のホームページも見ましたが、
同様に、政治的主張が漲っています。

これだけ政治的なところに行っていて、
靖国参拝を政治問題にしてはいけない」
などという議員の感覚が信じられません。

インドのパル判事は、自分が
A級戦犯を顕彰し、日本軍国主義を支持する

人たちから祭り上げられて困惑しているのでは
ないでしょうか。

パル判事は、日本の戦争が正しかったから、
被告全員の無罪を主張したのではありません。

純粋に、法律家としての自らの信念に従って、
法の不遡及」という法理念を守ろうとしたものです。

法の不遡及」とは、
法令の効力はその法の施行時以前には
遡って適用されないというものです。

彼は、この戦争が正しかった、
戦争への道を選んだ日本の指導者の決定は正しかった、
などということは、一言も言っておりません。

A級戦犯靖国神社に合祀されたのは、
1978年(昭和53年)10月でしたが、
これは秘密裡に行われています。

約半年後、1979年4月19日に、
朝日新聞によって報道され、
広く知られることになりました。

靖国神社に合祀する人の名簿は、
厚生省が作成し、これを靖国神社側が受け入れて
合祀が行われます。

名簿(「祭神名票」)は、1966年(昭和41年)に、
厚生省から靖国神社側に渡されていましたが、

この時の宮司筑波藤麿)は、
「時期は慎重に考慮したい」と引き取り、

結局任期中に合祀は行いませんでした。

後に、A級戦犯の合祀を知らされた昭和天皇は、
「筑波が慎重に対処してくれた」
と言っています。

そして、A級戦犯を合祀した時の宮司
松平永芳については、

「親の心子知らず」だと評しています。

この親とは、終戦直後の最後の宮内大臣であった
松平慶民です。

昭和天皇は、
「松平(松平慶民)は平和に強い考があったと思うのに
親の心子知らずと思っている」

と述べています。

A級戦犯合祀に、強い不快感をもった昭和天皇
「だから私 あれ以来参拝していない
それが私の心だ」

と述べています。

以前は、参拝していた天皇は、
A級戦犯合祀が発覚した後は、
参拝を取りやめています。

みんで勇んで参拝する国会議員たちは、
天皇の心をも踏みにじっています。

祭神名票は、厚生省が作成して、靖国神社に渡していますが、
なぜ厚生省が作成しているのでしょうか。

これは、おそらく戦前は陸軍省海軍省が行っていたと
思われます。

敗戦によって、陸軍省海軍省は廃止になりますが、
復員の事務があり、第一復員省、第二復員省に
なりました。

そして、これらの省が廃止になるとき、
厚生省がその事務を引き継ぎ、

このとき両省にいた旧軍人も厚生省に異動し、
祭神名票の作成事務を行っていたと推測されます。

A級戦犯合祀の祭神名票を作成したのは、
これらの旧軍人であったと思われます。