10月の終わりに福島に行ってきました。
訪問した主なサイトは、
・楢葉町 「宝鏡寺・伝言館」
・双葉町 「東日本大震災・原子力災害伝承館」
・浪江町 「震災遺構・浪江町立請戸小学校」
・南相馬市小高区 「おれたちの伝承館」
でした。
宿は、小高区の「双葉屋旅館」に泊まりました。
いわき駅で、レンタカーを借りて、
国道6号線を北上しました。
いわき市を北上すると、
ここからが、震災で浸水した地域
という標識がありました。
その辺から、新しい家が立ち並んでいた感じがしました。
さらに北上し、大熊町に入ると、
様子が一変してきます。
6号線は、除染され、幹線道路として、
往来自由なのですが、
横に入る道は、バリケードがされ人が配置されています。
非除染地域で、道路は通行止めということです。
放置された家や、セイタカアワダチソウやススキに覆われた
荒地が目立ちます。
広大な野原などは、除染できるものではありません。
除染したのは、限られた地域です。
これだけでも大変な労力と資金が
投入されたと思います。
楢葉町の「宝鏡寺・伝言館」は、1973年から
福島の原発に反対してこられた、
早川篤雄和尚と
立命館大名誉教授の安斎育郎氏が
2021年3月11日に開設した平和博物館です。
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマ
について発信しています。
双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」
は、公的資金が投入された立派な施設です。
(2020年設立)
行った時も、観光バスで
修学旅行や団体客が来訪していました。
隣接する芝の上を、ルンバのような
ロボットが、芝刈りをしていました。
このあたりだけは、除染された、
周辺とは異なる人工的な空間でした。
「原子力明るい未来のエネルギー」
の文字パネルも展示されていますが、
これはレプリカでした。
以前、
地元の人は、現物の展示を望んだが、
県側の意向でレプリカになった、
と言う話を読んだことがあります。
現物だと生々し過ぎるからでしょうか。
レプリカは、マイルドな印象でした。
まさか、
「原子力明るい未来のエネルギー」
と宣伝しているのではないと思いますが。
この県立の「伝承館」に対して、
これはちょっと違うぞと思った芸術家たちが
作ったのが、
南相馬市小高区の
「おれたちの伝承館」(2023年)です。
ここにも、
「原子力明るい未来のエネルギー」
の文字パネルの一部が展示されていました。
こちらは、経年劣化で痛み汚れて、
本物のように見えましたが、
実は、これもレプリカだそうです。
さすが、芸術家です。
本物と見間違える出来栄えでした。
展示されている作品には、
すべて作者のコメントが付されており、
作品にこめた震災・原発事故に対する
思いが記述されています。
浪江町の「震災遺構・浪江町立請戸小学校」は、
震災後の津波に襲われた小学校が
そのまま保存されています。
海岸からわずか300メートルの場所にありましたが、
当時学校にいた2年生以上の児童82名と
10数名の教職員は、
近くの大平山(直線で1.5キロの距離、標高40メートル)
に避難し助かりました。
すでに下校していた1年生11名も
全員無事だったそうです。
教職員による適切な判断と誘導、
児童相互の助け合い、
がありました。
❝奇跡の学校❞と呼ばれましたが、実は、
たまたまその日の昼頃、
教頭の森山さんは、教務主任の先生と、
「今年の避難訓練どうしようか。
津波の避難訓練しないとね」
「避難場所は大平山でしたよね」
という話をしていたそうです。
ちょうどその時、校長室からPTA会長が出てきて、
避難経路の話になったそうです。
「大平山は、あのあぜ道をまっすぐ行けばいいよね」
その数時間後、大地震が発生しました。
現在、または、過去に放射能汚染で
帰還困難地域だったところでは、
住民よりも工事の人を多く見かけました。
住宅の取り壊し、新たな施設などの建設、
道路の工事などに携わる人を多く見かけました。
住民はなかなか地元には戻っていないようです。
比較的早く、避難解除になった小高区でも
帰還しているのは、3分の1、
浪江町は10分の1ぐらいだそうです。
セイタカアワダチソウと、
太陽光パネルが空き地を占める、
そういう光景が印象に残りました。
<写真>
(1)請戸小学校 (3枚)



(2)セイタカアワダチソウ (2枚)
請戸小学校の付近。こういう景色で囲まれています。


(3)俺たちの伝承館 (3枚)



(4)東日本大震災・原子力災害 伝承館 (4枚)
あたり一面何もないところに、「伝承館」と「双葉町産業交流センター」
だけがあります。ほかにも何か大きい施設の工事がされているようでした。




(5)宝鏡寺の「伝言館」 (8枚)







