「砂川事件」というのがありました。
在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争の中で、
1957年7月に強制測量が行われた際に、
基地拡張反対のデモ隊の一部が、
立ち入り禁止の柵を壊し、
基地内に数メートル立ち入ったとして、
デモ隊のうち7名が、
日米行政協定違反で起訴された事件です。
一審の東京地裁(裁判長・伊達秋雄)は、
1959年3月、
「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、
指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、
日本国憲法第9条2項前段によって禁止される
戦力の保持にあたり、違憲である」
として、被告全員無罪の判決を下しました。
(伊達判決)
検察側は、最高裁へ跳躍上告します。
最高裁(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、
1959年12月、
「(憲法9条)が禁止する戦力とは
日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、
外国の軍隊は戦力にあたらない。・・・・
日米安全保障条約のように
高度な政治性をもつ条約については、
一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、
その内容について違憲かどうかの法的判断を
下すことはできない(統治行為論)」として、
原判決を破棄し、地裁に差し戻しました。
再審では、罰金2,000円の有罪判決が
言い渡され、これが確定判決となります。
最高裁の判決で示された、「統治行為論」は、
高度に政治的な問題は、司法審査にはなじまない、
というもので、一般的に認められている法理論ですが、
これは、
司法が自ら違憲立法審査権を放棄する
ことにつながりかねないので、
運用にあたっては、慎重であるべきだと、
私は思っています。
また、2000年代になって、
当時、裁判長を務めた最高裁・田中耕太郎長官が
判決の前にアメリカの駐日大使や公使と
非公式に会談していたことを示す公文書が見つかり、
当時の学生ら3人は、「公平な裁判を受ける
権利を侵害され、憲法違反だ」として
国に賠償などを求めました。
これに対して、2審の東京高等裁判所は、訴えは退けますが、
「田中長官の行動は、
裁判の評議の内容に関わる問題を伝えるもので、
裁判所の公平らしさに疑念を抱かせるおそれがあり、
不適切だった」と指摘しています。
このような、最高裁長官の行動も
最高裁への国民の信頼感低下をもたらしています。