経済成長率第一主義からの脱却~「強い経済」から「やさしい経済へ」

私は、ずっとある仮説を持っています。
ただし、それに対する十分な理論的な裏付けがあるわけではありません。

でも、それを待っていたら、こちらの命もなくなるし、
世界はもっとひどいことになってしまいそうです。

だから、フライングして、その仮説を提示します。

これは、経済思想的な仮説です。
世界のほとんどの経済学は、「経済成長」を果たすことを
自分たちのよって立つ存在理由としている様です。

「近代理論経済学」であろうと、「マルクス経済学」であろうと、
同じです。

近代経済学系の人は、自分では意識していないかもしれませんが、
その思考様式は、まさにマルクスの「唯物史観」で説明できます。

つまり、みんな経済の発展が、歴史の発展だと思っています。
その意味では、皆、「同じ穴のムジナ(狢)」と言えます。

中国の上海の高層ビルを見ると、
「なんだ、上海は東洋のニューヨークになりたかったのか」
と思いました。

要するに、中国も最も発展した資本主義になりたかったのか、
ということです。「同じ穴のムジナ(狢)」なのです。

私の仮説とは、
「経済成長率を上げることを至上命題とする経済学が経済をダメにしている」
ということです。

私は、経済成長がいけないと言っているのではありません。
経済成長率第一主義という発想をやめるべきだと言っています。
実際にこれをやめると、かえって経済が発展したということになるかも知れません。

地球温暖化、環境破壊、人新世の時代、
もはや、「唯物史観」は通用しない時代になっています。

「人新世」(ひとしんせい/じんしんせい)と言う言葉を
聞いたことがないという方もいると思うので、
ちょっと解説します。

地質学の年代区分で、「洪積世」「沖積世」といった呼ぶ方に倣って
現代を呼んだ言い方です。
正式の地質学の呼び方として承認されているものではありません。

大分県の別府湾には、きれいに地層が保存されているところがあって、
研究者が地層のサンプルを採っているそうですが、
1950年ごろから、それまでにない地層が見られるそうです。

化石燃料の燃焼でできた黒いススです。
その後、現在に至るまでの地層には、
過去の地球の歴史では見られない顕著な特徴があり、

明らかに、地層年代的に一時代を形成しているのです。

化石燃料の他にも、核分裂反応がもたらした死の灰、
有機水銀、PFAS(ピーファス、有機フッ素化合物)などの人工有害化合物、
マイクロプラスチック、プラスチック廃棄物、

大気温度、海水温度の上昇、大気中の二酸化炭素濃度の高騰、
生物種の激減、野生動物個体数の激減など、
他の地層年代とは、まったく異なる地層が作り出されています。

私が生きている、わずか1世紀にも満たない短期間に、
私たちの世代は、地球を原状回復が不可能なほどに
汚染したのです。

私たちの世代は、まさに「立つ鳥跡を濁さず」ではなく、
「立つ鳥跡を濁して」この世を去ることになります。

後代の人類、動植物には申し訳ありませんが、
そういう負の遺産を背負わせることになります。

ある意味、現代の原罪とも言えるものを象徴しているのが、
「人新世」という言葉です。

経済成長が、明るい未来を造るということはありません。

経済は、❝成長❞ではなく、❝循環❞を目指すべきです。
いったい何%の経済成長率があれば、満足するのでしょうか?
私は、ゼロ%でいいと思っています。

経済成長率がゼロ%でも、人々が豊かに創造的に暮らしていける、
そういう社会を目指してはどうでしょうか?

これは、経済学の発想を根本的に変えることになります。

なぜ、こんなことを言うかというと、
経済成長を目指した社会が、何もいい社会を造ってこなかった、
という現実があるからです。

❝経済成長❞=❝善❞、とは言えません。

強迫観念や、思い込み、固定観念を脱して、
正直に、素直に、過去・現実を見て下さい。

今から16年ぐらい前、2010年ごろに読んだ本の中に書かれていた、
エピソードがあります。

たぶんアフリカあたりの発展途上国で、
欧米と思われる先進国の農業指導員が、現地の住民に
先端技術を教えていました。

こういうやり方でやれば、
収穫を大幅に上げることができるという方法を
教えていたのだと思います。

その時に、指導を受けていた現地の住民が、
素朴な質問を投げかけます。

「なんで、そんなにたくさん作らなければいけないの?」

指導員にとっては、❝生産性の向上❞は自明のことで
何ら疑う余地のないことだったのでしょう。
ですから、住民からこんな質問が出たのは驚きだったと思います。

でも、その住民にとっては、
必要な量だけ、収穫が得られれば十分だったのです。
それを越す収穫は、ムダと見なされたのです。

先進国から来た指導員には、知識も技術もありますが、
現地住民の方が知恵があったのではないでしょうか?

生産性の向上というと、
誰も否定しない当たり前のことになっていますが、
それは期待された成果を上げたのでしょうか?

普通に考えると、生産性が向上して、
今まで8時間かかっていた仕事が
4時間でできるようになったとしたら、

労働時間が半減して、仕事は午前中だけ。
午後は余暇の時間として有意義に使おう
となってもいいようですが。

そういうことにはなっていません。
単純に、今まで二人の労働者が生産していた成果物を
一人の労働者が、生産するようになっただけです。

生産性の向上は、
労働時間の短縮をもたらすものではありません。

この50年で、オフィス労働の生産性は驚異的に向上しています。

以前は、薄いタイプ用紙に鉛筆書きして、青焼きでコピーしていました。
ソロバンは、電卓に替わり、表計算ソフトに置き換わりました。
外出先からは、公衆電話を探して連絡を取っていました。

いちいち上げていたら切りがありません。
とにかく、生産性は飛躍的に向上しました。

しかし、サラリーマンの労働時間は、まったく短縮されていません。
あいかわらず、長時間労働が続いています。
生産性の向上は、人間的な生活をもたらしませんでした。

ひどい場合は、過労死ということだって起こっています。
労働時間の制限を撤廃したいと言う人が総理大臣になっています。
何しろ、「働いて、働いて、働いて、・・・」の人ですからね。

自ら率先して、日本中を仕事中毒にしたいようです。
世の中は、真逆の方向に動いています。

過労死した人に対して、「そんな奴は、精神がたるんでいる」
といった発言をした大学の教授がいました。
確か、日立製作所で取締役を経験した方だったと思います。

戦時下における、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の存在をひたすら隠し、
「帝国軍人には、そんなやわな精神の持ち主はいない」と豪語していた
旧日本軍の血を受け継いでいる方なのでしょうか。

長時間労働が改善されず、過労死まで生じているのは、
生産性の向上、経済成長率UPを指向する
経済思潮から来ています。

「強い経済」ではなく、「やさしい経済」へと、
思考様式を大転換することが必要です。

生産性の向上、経済成長は、豊かな社会をもたらしていません。

私たちが子供の頃、テレビでホームドラマがありましたが、
ドラマの中では、夕食は、お父さんも一緒に食べていました。

今は、夕食時、お父さんは会社で残業しているのが普通になっています。
昭和30年代のテレビのホームドラマと今と、
どちらが豊かな社会なのでしょうか?

アメリカでは、車で寝泊まりするという、
新たな形のホームレスが増えているという記事を
ユーチューブで見ました。

物価高、特に家賃が高く、部屋代が払えなくて、
車上生活者になっているのです。

また、アメリカでは、事前の予告なく、いきなり
「明日からもう会社にこなくていい」と言われレイオフになるそうです。

物価高で、支払いに追われ、
いくつもの仕事を掛け持ちでやっている人もいるそうです。

物価高は、ウクライナ戦争やイラン戦争で、原油が高騰した
ということもあるでしょうが、
もともと金融政策がインフレ招来型なのです。

このインフレ・ターゲットという考え方は、
金融政策で、無理やり経済成長を起こそうとしている様に思えます。

これは、当然、物価高・株高をもたらし、
資産家は、ますます富み、庶民は貧困になるという政策です。

経済成長第一主義という考え方は、結局のところ、
マネーに支配されています。
人間が、資本の欲望(価値増殖欲望)に隷属することになります。

地球温暖化、環境破壊、人新世の時代は、
人間の理性・悟性が勝つか、資本の欲望が勝つか、という時代です。

人間の理性・悟性によって、持続可能な地球を取り戻すためには、
経済成長第一主義から脱却することが、必要です。

先ほど、アメリカにおける貧困層の拡大を述べましたが、
ここ日本でも
インフレ・ターゲットを導入したのが、アベノミクスでした。

大規模金融緩和と積極財政で、経済の好循環をもたらし、
経済成長を達成するというのが、アベノミクスでした。

結果は、安倍さんが期待していたほどの経済成長はなく、
円安で国民の資産は目減りし、購買力は落ち、
政府の借金は増え続け、財政はますます不健全化しました。

政府も国民も貧しくしたのが、アベノミクスです。
2011年~2024年の経済成長率の平均は、0.63%でした。

いくらがんばって、アベノミクスをやっても、その程度の成長でしかありません。
一方、国の借金は雪だるま式に増え、1300兆円(GDPの2倍以上)です。

アベノミクスが失敗であったことは、
安倍さんや麻生さんの心の声が語っています。

法人税を減税し、積極的な財政出動をしても、
期待した設備投資の増大につながらず
企業の内部留保が増えるだけだった時、

財務大臣だった麻生太郎は、
「企業は、貪欲であってはいけない」と苦言を呈しました。

アベノミクスが思うような経済の好循環につながらず、
サラリーマンの給料が上がりそうにない時に、

安倍首相は、経団連に乗り込んで
賃上げを頼むという前代未聞の行動に出ました。

これらの、安倍さん、麻生さんの言動は、
アベノミクスが思うような成果を上げなかったことから来たものです。

日本国政府は、貧困化しています。
いくら税金を集めても、国の予算の4分の1は、
国債費(過去借金の返済や利息払い)で消えています。

今働いている人が、一生懸命税金を納めても、
自分たちのために使われるのは4分の3だけです。
4分の1は、過去の自民党政権のツケを支払わされています。

今後もこういう経済財政政策を続けてゆくと、
将来世代は、自分たちのため使えるのは、2分の1だけ、
半分は、過去世代の借金のツケを払わされるということにもなりかねません。

防衛費増や、積極財政など、やってる場合ではないのです。
日本でも、ワーキング・プアということが問題になり、
貧困層は拡大し、人口減に歯止めはかかっていません。

すべて、これまでの経済政策がもたらしたものです。
そして、その根底にあるのが、経済成長率第一主義です。

AIのもたらす、生産性の向上は、画期的と予想されています。
ですが、それが豊かな社会をもたらすかというと、
はなはだ疑問です。

人間は、マネーを発明し、今はマネーに支配されています。
今度は、AIを発明したけど、AIに使われるようにならなければいいですが。
マネー&AIに人間が支配されるという近未来デストピアSFができそうです。

すでに、アメリカでは電話の応答サービスが、
AIに置き換わっているという話を聞きました。

先進IT企業では、大量解雇が行われています。
新卒にできる業務はAIに、ということで、
大卒の新規採用が減っているという話も聞きました。

大学を出たけれど、大学院を出たけれど、就職できないで、
何か月も求職中という人もいます。

AIの先端企業のトップが、大学の卒業式に講演を依頼されてスピーチをして、
卒業生からブーイングをくらうという事態も生じています。

人間労働がAIによって駆逐されています。
これは、貧困層の拡大・中間層の消滅をもたらします。

AI導入による生産性の向上は、
豊かな社会ではなく、さらなる貧困の拡大と、
社会不安をもたらすようです。

経済成長率の向上を第一義に考える流儀は、
マネー資本主義に陥り、株価の高騰を喜ぶ一部富裕層への富の集中と
貧困層の拡大、中間層の没落、社会不安の増大を招きます。

常識では考えられないトランプのような人物が大統領に選ばれるということは、
それだけ、既存のエリート、エスタブリッシュメントたちの経済運営に対して
庶民が嫌気がさしていることだと思います。

ニューヨーク市の市長に、既存のエスタブリッシュメントではない、
若いインド系移民の回教徒が選ばれたのも、
同様の庶民の感情があると思います。

経済学は、経済成長率第一主義を脱却し、
経済政策は、インフレ追及型(株価高騰型)ではなく、
「強い経済」から「やさしい経済」へと転換することが必要です。

「今日、人類は、
あらゆる形の貧困を根絶させる力を
その手に握るようになったのです」

これは、1961年1月20日の
ジョン・F・ケネディーの
大統領就任演説の中の言葉です。

65年も前に、
人類は貧困を根絶できる力を手にしていると、
米国大統領が言っていたのに、

未だに貧困は、世界中で問題になっており、
しかも、その先進国のアメリカや日本においても
貧困が拡大しているのです。

これは、生産性の問題ではありません。
経済成長の問題でもありません。

もう十分に生産性は上がり、経済成長は達成されているのです。
それなのに、まだ経済成長を達成しなければいけないと考えている、
その思考法が問題なのです。

経済が成長すれば、社会が豊かになるということには、
なっていないのです。

現実を直視し、固定観念=経済成長率第一主義から、
解放されることが必要です。

こういうことを言うと、
「そんなことは、無理だ」「ありえない」
と言う人もいると思います。

資本主義的経営においては、
売り上げ増、収益増、を目指すしかないのだ、
と言うかもしれません。

でも、一日何食限定ということで、食堂を経営し、
顧客の支持を得ているお店もあります。

現代の資本主義においては、人間が資本に支配され、
我々は、資本の欲望の奴隷になるしかないのだから、
それを止めるには、資本主義をやめるしかない。

と言う人もいるかもしれません。
でも、狭い意味の社会主義・共産主義が失敗であった
というのが、20世紀の歴史が証明したことでした。

また、自由放任主義で、なんでもかんでも資本の自由にさせると
とんでもないことになるということは、
もっと前から歴史の教訓としてありました。

それを無視して、市場原理主義で動き、
先祖返りしたのが、新自由主義でした。

しかし、20世紀から、
すでに修正資本主義の時代になっています。

私たちが目指すべき方向は、
狭い意味の社会主義・共産主義でもなければ、新自由主義
でもありません。

それは、新しい資本主義といってもいいし、
広い意味の社会主義・社会民主主義とも言えるかもしれません。